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2014年3月17日月曜日

掛け算の順序についての私の意見

掛け算の順序問題と言えば,大抵の人にはわかっていただけると思うが,
小学生のテストの文章題において,

(かけられる数)X(かける数)=(答え)

と正しく(?)立式できていなければ,バツを付ける.という奴だ.



もう少し詳しく言うと例えば,

「1個30円のみかんを5個買った時,その代金はいくらになるか?」

という問題に対して,30 X 5 = 150 は正しいが,5 X 30 = 150 は間違い.
とする日本の教育方針は如何なるものか.という奴だ.



以前から,私なりの意見を持っていたのでこの場を借りて書かせてもらう.
はじめに断っておくと,私は

掛け算の順序はとても大切だ

というスタンスで書くので,すでに気分が悪くなった方はご退出していただいても構わないし,
ふざけるなっ!と思う方はコメント欄に書いてもらって構わない.

ただ願わくは,私がそう思う根拠を読んでからにしていただきたい.
その上で批判されるのであれば私としてもこの記事を書く意義があるというものだ.
(むしろ反対意見こそコメントに残して欲しい)



ちなみに,私は小学生時代「掛け算の順序は大切だ」と習ったし,
それに対して何の疑いを持つことなく今に至っている.ということも併記しておこう.

また,「上司に言われたことを正しくできる人間が求められている」などという
就職活動まで含める謎の主張をするつもりは毛頭ないことも宣言しておく.

では,ここからが私の意見だ.





【理由1】教育上仕方ない

よくtwitterなどで見かけるのはバツが付けられている,ある一問の画像だと思う.

しかし自分の小学生時代の記憶を呼び起こして欲しい.きっとその問題の上や下には

「ボールが3つ入った袋が全部で7個あります.全部でボールはいくつでしょうか.」

とか

「3つの長椅子があります.ひとつの長椅子に4人が座るとき,合計で何人座れるでしょうか.」

のような問題が並んでいたはずだ.


これらの問題に対して,掛け算に順番はありません.どちらでも正しいです.
と小学生に教えてしまうとどうなるだろう.

「なんだ.掛け算て簡単じゃん.出てくる数字をただ順番に掛ければ良いだけだ.」

と安易に考えてしまう生徒が少なからず出てしまうだろう.
そして,もっと複雑な文章問題になったとき,上のような考え方を
していた生徒は間違いなくつまづくだろう.

それこそ教育上の問題があるというものだ.



だからと言って,少なくとも習いたての初期段階では,
小学校のテストはこの程度の問題が並ぶことになるのは仕方がない.

さらに日本には掛け算九九という素晴らしいものがあるため,
これらの計算を間違える生徒はほとんどいない.


するとどうなるか.


教える立場の先生としては,生徒が本当に文章題を理解して,掛け算をしているのか,
ただ機械的に出てくる数字を掛け算しているのか
なんて判断することはできない.

恐らく日本の教育が現在の形になったのもこういう背景からだと推察される.



もっとも,これはテストにひと工夫加えるとか,教え方を変えるとかすれば
どうにかできるかもしれない問題なので,ある程度の説得力はあるかもしれないが,
これだけの理由で掛け算の順序は絶対だ!と主張するのは乱暴だと思う.

だから,私が本当に主張したいのは次の理由2の方だ.





【理由2】数学や物理において慣例は大切

突然だが問題だ.直線:y = ax + b の傾きとy切片はいくつでしょう.


さて,どうだろう.多くの人は傾きはaで,y切片はbだと思ったのではないだろうか.

しかし,それは間違いである.

いや,間違いというのは言い過ぎだが,正しいとは限らないというのが本当だ.

なぜなら私は一言も「xが変数だ」とは言っていないからだ.

だから,aが変数で,xが傾き,bがy切片かもしれないし,
もっと捻くれた考え方をすれば,bが変数で,傾きは1,axがy切片かもしれない.



もちろんこれが屁理屈に近いことは十分わかっているが,
掛け算に順序は無いという主張はこれに似ていると私は思う.

つまり,xが変数,aが傾き,bがy切片というのが数学の慣例であり,
掛け算の順序にこだわるのも数学の慣例だ.というのが私の主張だ.

順序を逆にしようが,aを変数にしようが正しいことは正しいが,
決まり事を作っておいた方がわかりやすい.

言うなれば読者と筆者の間の暗黙の了解だ.



もし,直線:y = xa + b という表現が出てきたら,
私は変数と傾きがどちらか分からなくなる.

xが傾きにしろ,aが傾きにしろ,慣例にそぐわない形をしているので,
何か特別な意図があるのだろうか.と疑いながら読み進めるだろう.

読み進めた上で,敢えてxaと書いていた理由がわかれば
「なるほど」と思うだろうが,全くその必要性を感じなければ
「なぜわざわざxaと書いたんだ.」としばらく疑問を持ってしまうし,
もしかするとその理由を探すためにもう一度読みなおす可能性すらある.

逆に,自分が書く立場のとき,敢えて順序にこだわってxaと
書きたいと思っても,「普通はaxと書く」という慣例が存在しなければ,
自分が順序にこだわっていることを読者に伝えるのは一苦労だ.

それぐらい慣例というのは大事だ.

と私は思う.


そして小学生の算数において,この数学の慣例を教育できるのは
掛け算の順序問題が唯一なのではないだろうか.


もちろん,そういう枠にハマった考え方しかできないから云々・・・.
という反論が理解できないこともないが,

恐らく,世の中の99.9%の凡人は枠にハマった考え方をしたままの方が
上手くやっていけることが多いと思うし,残りの枠にとらわれない0.1%の天才は,
どうせこんな教育の枠にさえ囚われないだろう.

(とは言いつつも,私はエジソンは1+1が・・・という話が大嫌いである)

だから,さしあたっては小学生に掛け算の順序は大切だと教える日本の教育に
問題はないだろう.



これが私の主張だ.


まあ,一番の問題は,

多くのの小学校教師がここまで深く考えて教育しているわけではないだろう

ということなのかもしれないが・・・.

5 件のコメント:

  1. ・生徒が本当に文章題を理解して,掛け算をしているのか,
    出てくる数字をただ単位のサンドイッチができる順番に並べて掛け算しているのかなんて判断することはできない.

    ・1個30円のみかんを5個買った時,レシートに5個 X @30と記載されるのは珍しいことではない.リレーの4 X 100mにしろ,気体の状態方程式のnRTにしろ,数学の数列a[n+1]=a[n]+dの一般項a[1]+(n-1)dにしろ,小学校で教える掛け算の順序とは異なる.ようするに,掛け算の順序という慣例は(小学校の算数の中にしか)存在しない.
    それを「小学校では」と断りを入れずに教えると,読者が暗黙の了解と思っているものと筆者の意図との間に齟齬が生じ,誤読の要因となる.

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    1. コメントいただき,ありがとうございます.

      一点目に関してですが,確かにそのように考えることもできますね.
      しかし,その場合は単位も併記して欲しいなと私は感じてしまいます.(自分と違う書き方だから認められていないだけなのかもしれないですが)

      二点目に関しては,レシートやリレーでは単位も書いてあるので誤解が生じないのであって,ただ数字が書いてあるだけでは,分かりにくい表現になると思います.

      nRTや(n-1)dは言われてみて初めて気づきましたが,言ってみればそれも慣例な訳で,その慣例の第一歩が掛け算の順序と捉えれば良いのではないでしようか.

      また,これは別の意見になりますが,小学生に対して「小学校では・・・」と教えるよりも,中学や高校に入ってから「小学校では・・・だったが」と教えた方が,教わる側としては受け入れやすいと思います.

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    2. それでは,特定の順序で書くように指導するのではなく,単位を併記するように指導すればよいのではないでしょうか.
      数学でも,スムーズに伝わるように慣例に従うことより,確実に正しく伝わるように「xの関数yについて」とか「a,bを定数とする」といった前置きをきちんと書くことの方が大事なはずです.「公差をdとする」と書かずに勝手にdという文字を使えば減点対象になりえますが,公差を慣例と異なるpとおいても減点されたりはしませんよね.

      後から「これまでは・・・だったが」と教えた方が,受け入れやすいというのは,その通りだと思います.中学の先生が教えてくれればいいですね.

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  2. こんにちは。
    根っからの文系の身で恐縮ですが、まずはじめに、乗法というのは辞書にもあるように「ある数を他のある数の表す度数だけ加え合わせる算法」であって、これを理解しないで闇雲に式を作ることに対しては、私もいかがなものかと思う立場です。

    ただ、今回拝読して思ったのは、人それぞれ文章から思い浮かべるイメージが違うんだろうということです。教師自身が自分のイメージに固執してしまうのだと思います。

    30円のみかん5個はさすがに30×5しか思い浮かびませんが、「ボールが3つ入った袋が全部で7個あります.全部でボールはいくつでしょうか.」と問われた場合、多くの人は、一袋3つ入りでそれが7袋置いてある状態をイメージして3×7と考えるでしょうが、なかには、「7つの袋がある」という画から始めて、運動会の玉入れ結果発表のように7人がそれぞれの袋から同時にボールを取り出して投げる映像をイメージする人もいるかもしれません。その場合、7×3になります。

    同様に「3つの長椅子があります.ひとつの長椅子に4人が座るとき,合計で何人座れるでしょうか.」の場合も、はじめから全員が座っている状態をイメージすれば、椅子ごとに区切って、4×3となりますが、誰も座っていない長椅子3脚に同時に1名ずつが順番に座っていく映像をイメージした人の式は、3×4になるでしょう。
    4×100は個人的にも、4人が100mを走るという意味でしっくりきますし、逆に100×4だとただの400mに感じます。

    ですから掛け算の意味を正しく理解していても、文章のイメージ化の感性が先生と合わないためにバツにされてしまう生徒もいるのではないでしょうか。

    乗法を理解しているかどうかは、順序では判断しきれません。このようにイメージに隔たりがあるのならば、慣例を教えるためという説も、なかなかどうでしょうか…。というのも、xやyなどの記号なら、「これはこういう時によく使うものだ。こうやって使うものだ」というふうに慣例を覚えることは容易ですが、脳内のイメージが多数派と違うわけですから、彼らからしてみれば、乗法をちゃんと理解しているにもかかわらず、「でも逆に書かなきゃダメだよ。ほら、こういうふうに考えるんだよ」と教えられ、つまり別のイメージ方法を強要されるわけです。しかし、イメージ方法というのは、xやyのような普遍的な対象ではないため、もともと感性が違えば、何をどう多数派に迎合させればよいのやら、なにが「慣例」なのかがわからないのです。

    しかも最終的には答えは合うのだから、もう好きにさせてやれ、と思います。笑

    私が思うには、これはテストの回答で理解度を判断するべきでなく、乗法の意味を授業でしっかり理解させるしかありません。どうしてもテストしたいなら、「掛け算とはどういう計算のことですか?」と問うしかありません。(文章で回答するのは小学生には難しいと思いますが。)つまるところ国語の問題ではないかと思います。

    長文失礼しました。

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  3. はじめまして。

    【もっと複雑な文章問題になったとき,上のような考え方をしていた生徒は間違いなくつまづくだろう.】

    事実はそうではありません。私自身、掛け算の順序などどーでもいいと思っていましたが、それが原因で躓くことはありませんでした。もしかしたら躓く人もいるかもしれませんが、「掛け算には順序がある」と思い込んで混乱する人もいると思います。


    【掛け算に順序は無いという主張はこれに似ていると私は思う.】

    まったく違います。a,bを定数、xを変数としておけば、傾きはaでy切片はbです。

    掛け算の順序に関しては、(1つ分)×(いくつ分)の順序に固定しても、どちらの順序もありえます。


    【そして小学生の算数において,この数学の慣例を教育できるのは掛け算の順序問題が唯一なのではないだろうか.】

    慣習など必要に応じていくらでも教えられるのではないでしょうか?

    また、そもそも「掛け算の順序」は数学の慣習ではありません。私自身、数学・物理を専攻しましたが、順序があるなどというのは夢にも思いませんでした。「順序が逆だとバツになる」というのを新聞投書で知って驚いた次第です。

     「慣習を学ぶ」という目的があるとしても、ありもしない「掛け算の順序」というフィクションでそれを学ぶ必要はないし、順序指導のために多大な労力を費やす、子供が混乱するなどのデメリットの方がはるかに大きいと思います。

     また、私自身「掛け算の順序」について調べていて、「順序擁護論」も色々読みましたが「慣習を学ぶため」というのは初めて読みました。

     私には、とってつけたような理由に見えて仕方がありません。

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